書籍「仏事・仏壇がよくわかる」を全編公開

あとがき

命のつながりを実感させてくれる「仏壇」

仏壇を購入していただいたお客様の声を聞いていると、自然と仏壇と向き合っている様子がうかがえます。あるお客様からこんなお手紙をいただきました。
「仏壇を購入してから、仏壇の前で正座すると、なんともいえずに、心が落ち着き、精神の安定さがひしひしと感じられる毎日です」
あるお客様からは
「父が亡くなり、仏壇を購入しました。その後、母も亡くなり、大変な年となりましたが、毎日欠かさず、父と母に家内ともどもおまいりしております。『形』より『心』が一番と思いますが、納得できる『いい仏壇』でおまいりができることをうれしく思っています」
という声をいただいています。
どのお客様も仏壇購入をきっかけに、毎日、仏壇の前でおまいりするようになっています。仏壇にはそんな力があると思います。

あなたは、いま自分が存在していることを不思議に感じたことはありませんか。
いま私たちがあるのは、先祖のおかげです。先祖の誰ひとりが欠けても現在の自分は存在しません。両親がいたからこそ、自分が存在し、その両親もまた両親がいたから生まれてきたのです。
「そんなことは知っている」というでしょう。少し考えれば、誰にでもわかることです。しかし、日々、命のつながりを感じて生活することはないのではないでしょうか。
仏壇は私たちの命のつながりを身近に感じさせてくれるものです。仏壇には亡くなった身内の方々の位牌が安置されています。おまいりをするたびに、自分の先祖と会うことができるのです。

古来より日本人は、遠い先祖を神さまとして神棚にまつり、身近な故人を仏さまとして仏壇にまつって、心のよりどころとしてきました。
「故人が見守っている」という安心感や、「ご先祖さまに申し訳ない」という自制心が、律儀で思いやりのある日本人をつくってきたと思います。命のつながりを感謝する気持ちが、人が人として生きていく原点ではないでしょうか。自分の命のつながりを大切にしない人が、他人にやさしくできるわけがないと思います。
しかし、現在は競争社会であり、欲しいモノが何でも手に入る時代です。モノを追求するあまり、心を忘れて「自分さえよければ何をしてもよい」という風潮になった一因は、日本古来の伝統や文化を見失ってしまったせいではないかと思います。

仏壇の役割

誰にとっても、自分自身が葬儀を執り行うことはまれな出来事です。一生の間に、多くても2~3回ではないでしょうか。それにも関らず短時間で葬儀の準備をしなければなりません。人ひとりを見送ることは大変なことなのです。
しかし、故人が人として生きてきた証を確認する葬儀ほど尊い行為はありません。
葬儀を無事、終えたら、残された家族は故人の死を受け止め、心の中に故人の人生をどう残していくかが大切になってきます。それを形にあらわしてくれているのが、1300年以上もつづいている仏壇の存在なのです。

仏壇は時代とともに変化しています。最近は核家族化が進み、親の住んでいた家に子どもが住まないことも多くなっています。またひとりっ子同士の結婚も増えて、「家」という形態が急激に変化してきました。
家そのものも変化しています。マンションが増えたことで、和室のない家が多くなりました。一戸建ての家にも和室のない家が普通になりつつあります。家族が揃う部屋はリビングルームだけ。リビングルームもフローリングがほとんどです。
仏壇を安置できる部屋はリビングルームしかない多くの家に、いままでのような大きくて立派な仏壇は合いません。仏壇の大きさや形が変化して、いろいろな種類の仏壇が増えてきたのは当然のことなのです。

また仏壇の役割も変化してきました。
以前は、「仏壇は本家で長男がまつるもの」という大家族の象徴としての役割がありました。いまでは次男でも三男でも、身近なところで供養したいと思う人のために仏壇を安置しています。仏壇は個人の人生と共に歩むパートナーとしての役割を担いつつあります。

どんなに家族の形態が変わろうとも、亡き人を供養したい、いつもあの世から家族を見守っていてほしいという思いは変わりません。仏壇は残された家族の心の支えであることに変わりはないのです。
毎日、仏壇に花を飾り、火をともし、線香やご飯お茶を供え、仏壇とともに生活すると、亡き人が私たちをいつも見守っていることを実感できるようになります。
うれしいときも悲しいときも、亡き人に報告し、あたかも生きているかのごとく語りかけると、素直な心になれ、自分自身が癒されてきます。
是非、あなたの人生に寄り添ってくれるのにふさわしい仏壇を見つけていただきたいと思います。

書籍「仏事・仏壇がよくわかる」

本記事は書籍「仏事・仏壇がよくわかる」からの転載です。

著:滝田 雅敏